› 南の島の「仕事」を考える › 2005年08月微調整
Aの方向に進もうとしていた矢先に、「Bの方が向いていますね。それに向けて頑張ってみては」というアドバイスを頂いた。そのときに、「思いのままに行動しよう」という言葉が心に浮かび上がった。
基本的には、思い立ったらすぐ行動に移せる性格の私。その結果、良かったことも数えきれないくらいあるけど、逆に壁にぶつかったこともそれなりにある。仕事に関して言えば、何も考えずに行動を起こしたことは、二十代の頃に紅型の工房で働き出したこと。
本屋で手に取った着物関係の本の、「京都の友禅にも匹敵するもの。それは沖縄の紅型なのです」という文から啓示を受けた(と誤解した)。そして、その数日後に工房の求人広告を目にした。その後、面接→採用とスムーズに事が運んだ。
仕事は楽しかった。自分が染めたものが完成したときの喜びは何とも言えない。でもその時は、水を使う仕事というものが皮膚の弱い自分にどう影響するのかなんて、まったく想像していなかった。
たしかに私の経験値は上がったし、後悔は全然していないのだけど、思いのまま行動することが、必ずしも幸福に「直接」結びつくものではないと感じている。
人の言葉で、気持ちが変わるくらいだったら、それだけのものという考え方もある。でも、周りの声が心に入ってくるという時は、何か考える余地があるのだろうなとも思う。微調整の時期が来ているのかもしれない。
基本的には、思い立ったらすぐ行動に移せる性格の私。その結果、良かったことも数えきれないくらいあるけど、逆に壁にぶつかったこともそれなりにある。仕事に関して言えば、何も考えずに行動を起こしたことは、二十代の頃に紅型の工房で働き出したこと。
本屋で手に取った着物関係の本の、「京都の友禅にも匹敵するもの。それは沖縄の紅型なのです」という文から啓示を受けた(と誤解した)。そして、その数日後に工房の求人広告を目にした。その後、面接→採用とスムーズに事が運んだ。
仕事は楽しかった。自分が染めたものが完成したときの喜びは何とも言えない。でもその時は、水を使う仕事というものが皮膚の弱い自分にどう影響するのかなんて、まったく想像していなかった。
たしかに私の経験値は上がったし、後悔は全然していないのだけど、思いのまま行動することが、必ずしも幸福に「直接」結びつくものではないと感じている。
人の言葉で、気持ちが変わるくらいだったら、それだけのものという考え方もある。でも、周りの声が心に入ってくるという時は、何か考える余地があるのだろうなとも思う。微調整の時期が来ているのかもしれない。
ちょっと身辺が・・・
あわただしくなってきました。ということで、このブログもしばらくお休み・・・
と言いたいところですが、ブログは私の気分転換の場所でもあります。^^
でも「キャリア」と「フラワーエッセンス」と「田坂さん」の話を書くときは、わりと真剣な思いで書いているんですね。その心のゆとりが9月には持てそうもないんです。
ですから、しばらくの間、「仕事」に関する話以外のことを書くかもしれません。
お付き合いいただければと思います。
と言いたいところですが、ブログは私の気分転換の場所でもあります。^^
でも「キャリア」と「フラワーエッセンス」と「田坂さん」の話を書くときは、わりと真剣な思いで書いているんですね。その心のゆとりが9月には持てそうもないんです。
ですから、しばらくの間、「仕事」に関する話以外のことを書くかもしれません。
お付き合いいただければと思います。
マイナスをプラスに変える人
7/27の記事に書いた、私を感動させたイタリアン・レストランに再び行ってきました。私が注文したメニューはハンバーグに玄米が添えられたもの。味は美味しかったのですが、一つ残念なことが。付いてきたスープが「ビシソワーズ」だったんですよ。かぼちゃの冷製スープです。つまり、冷たいんですね。「冷麺」とか「冷しゃぶ」とか「冷」がつくものが食べられない、冷え性の私。かなりショックでした。ま、シェフには罪はないし、基本的には残したくないので、完食しましたが。
そしてバイト生がお皿を下げに来ました。前回とは違って、何も残さなかったので、別に話しかけられることはないだろうと思っていましたが、「お味はどうでしたか?」と尋ねられました。聞かれるとこちらも返事がしやすい。「冷たいスープがちょっと・・・。次回からは違うメニューを注文しないといけませんね~」と告げると、「あ、それでしたら、次回からお申し付けください。温かいスープをお出しすることは出来ますから」という言葉が返ってきました。嬉しかったですね。もうこのメニューは食べられないと思っていましたから。
このレストランの顧客に対する応対を見ていたら、友人のKさんを思い出しました。彼女の職場は社内表彰システムが多くて、彼女も色々授賞しています。でも彼女は、他の職員がしているように、賞状とかを飾り立てないんです。でも、一つだけ彼女が飾っているイラストがあったんです。「それは誰かの作品?」と聞くと、彼女は、「うん、有名な人ではないけれど。ただ、私の嬉しい体験の証拠なんだ」と答えました。
彼女が以前経理として働いていた会社は、その男性イラストレーターと契約をしていたそうです。しかし、営業との意見の食い違いがあり、男性は自分が受け取るコミッションが正当ではないと思っていたそうで、ある日、彼女が一人残業をしていたところに、怒鳴り込んできました。でも彼女は部外者。「明日、営業の人間に伝えますから」と言う事もできたはずですが、それじゃこの人の怒りは収まらないだろうと思い、話しを聴くことに徹したそうです。
それで彼はなぜか自分の家族の話までしてしまい、最後には彼女に「もう一度、家に帰って契約を読んでみる」と告げて出て行ったそうです。結局、営業の人間と彼、双方の勘違いが原因だったそうですが。後日、彼女が出勤してみると、彼からの郵便物が机の上に。その中には彼が描いた夕日のイラストと、「ありがとう」のメッセージが。それを彼女は職場の表彰よりも大事に扱っているのです。
そんなマイナスをプラスに変える人たち、私は大好きです。
そしてバイト生がお皿を下げに来ました。前回とは違って、何も残さなかったので、別に話しかけられることはないだろうと思っていましたが、「お味はどうでしたか?」と尋ねられました。聞かれるとこちらも返事がしやすい。「冷たいスープがちょっと・・・。次回からは違うメニューを注文しないといけませんね~」と告げると、「あ、それでしたら、次回からお申し付けください。温かいスープをお出しすることは出来ますから」という言葉が返ってきました。嬉しかったですね。もうこのメニューは食べられないと思っていましたから。
このレストランの顧客に対する応対を見ていたら、友人のKさんを思い出しました。彼女の職場は社内表彰システムが多くて、彼女も色々授賞しています。でも彼女は、他の職員がしているように、賞状とかを飾り立てないんです。でも、一つだけ彼女が飾っているイラストがあったんです。「それは誰かの作品?」と聞くと、彼女は、「うん、有名な人ではないけれど。ただ、私の嬉しい体験の証拠なんだ」と答えました。
彼女が以前経理として働いていた会社は、その男性イラストレーターと契約をしていたそうです。しかし、営業との意見の食い違いがあり、男性は自分が受け取るコミッションが正当ではないと思っていたそうで、ある日、彼女が一人残業をしていたところに、怒鳴り込んできました。でも彼女は部外者。「明日、営業の人間に伝えますから」と言う事もできたはずですが、それじゃこの人の怒りは収まらないだろうと思い、話しを聴くことに徹したそうです。
それで彼はなぜか自分の家族の話までしてしまい、最後には彼女に「もう一度、家に帰って契約を読んでみる」と告げて出て行ったそうです。結局、営業の人間と彼、双方の勘違いが原因だったそうですが。後日、彼女が出勤してみると、彼からの郵便物が机の上に。その中には彼が描いた夕日のイラストと、「ありがとう」のメッセージが。それを彼女は職場の表彰よりも大事に扱っているのです。
そんなマイナスをプラスに変える人たち、私は大好きです。
透ける履歴書
「履歴書や職務経歴書には何を書けばいいのですか」という質問に対して、多くの書籍や人材会社のHP、採用コンサルタントがそれぞれの答えを語っています。基本的な書き方などは、無料の求人情報誌に記載されていることもありますし、具体例もウェブで見つけることも可能です(しかもワードファイルだったり)。
また、「自分の棚卸しをしよう」というアドバイスもよく聞きますね。実際、「棚卸し」はとても大切なことです。自分と職種のミスマッチは避けるに越したことはありませんから(必ずしもミスマッチが諸悪の根源だと私は思ってはいませんが)。そのせいでしょうか、最近、履歴書や職務経歴書のレベル(?)が上がってきたように思います。
ただ、「棚卸し」を忠実に行った結果、その経歴書がその方を物語っていないなと感じる場合があります。あるエンジニアの方の職務経歴書を拝見しましたが、そこにあるのは専門用語の羅列で、正直私には何が書かれているのかさっぱりわかりませんでした。
おそらく同じ分野に属している方が一読すれば、その方の能力を瞬時に判断できるのでしょう。しかし、履歴書というのは、必ずしも専門職の方だけが見るものではありません。人事課の職員も目を通します。そのときに、記号や数字だけの文章が応募者に代わって、その方の仕事に対する熱い思いを伝えてくれるとは、私には考えにくいのです。
応募者が提出した書類は、担当職員の机の上に積まれていきます。そのときに、彼または彼女の目に留まらないと、選考を通ることができません。情報量が多くても少なくても、その書類に何らかのストーリーやエピソードがあれば、少なくとも「読んではもらえます」。
せっかく時間をかけて書いた履歴書が、自分を何も語っていない「透ける履歴書」になっているのは、とてももったいないことです。自分のジョブ・ヒストリーが、なるべく多くの人に伝わる言葉で書かれているかどうか、一度チェックすることも必要だと思います。
ランキングにいつもご協力ありがとうございます!
また、「自分の棚卸しをしよう」というアドバイスもよく聞きますね。実際、「棚卸し」はとても大切なことです。自分と職種のミスマッチは避けるに越したことはありませんから(必ずしもミスマッチが諸悪の根源だと私は思ってはいませんが)。そのせいでしょうか、最近、履歴書や職務経歴書のレベル(?)が上がってきたように思います。
ただ、「棚卸し」を忠実に行った結果、その経歴書がその方を物語っていないなと感じる場合があります。あるエンジニアの方の職務経歴書を拝見しましたが、そこにあるのは専門用語の羅列で、正直私には何が書かれているのかさっぱりわかりませんでした。
おそらく同じ分野に属している方が一読すれば、その方の能力を瞬時に判断できるのでしょう。しかし、履歴書というのは、必ずしも専門職の方だけが見るものではありません。人事課の職員も目を通します。そのときに、記号や数字だけの文章が応募者に代わって、その方の仕事に対する熱い思いを伝えてくれるとは、私には考えにくいのです。
応募者が提出した書類は、担当職員の机の上に積まれていきます。そのときに、彼または彼女の目に留まらないと、選考を通ることができません。情報量が多くても少なくても、その書類に何らかのストーリーやエピソードがあれば、少なくとも「読んではもらえます」。
せっかく時間をかけて書いた履歴書が、自分を何も語っていない「透ける履歴書」になっているのは、とてももったいないことです。自分のジョブ・ヒストリーが、なるべく多くの人に伝わる言葉で書かれているかどうか、一度チェックすることも必要だと思います。
ランキングにいつもご協力ありがとうございます!
30年後の対価
今日は私の叔母(正確に言うと、母のいとこ)のことを書きたいと思います。身内の話ですが、私は「仕事の定義」について考えるとき、この叔母の半生によく思いを巡らせるのです。
叔母はちょうど沖縄が本土に復帰をした年に米兵と結婚。結婚式を沖縄で済ませた後、すぐにアメリカに移住しました。その後、三人の子供に恵まれたのですが、長女は重いハンディキャップを背負って生まれてきました。
それから叔母の介護の日々が始まりました。叔母はアメリカに行ったら、運転免許を取って仕事をしようと思っていたらしいですが、それは無理な話でした。娘は自分の足で歩くどころか、立つことすら出来なかったからです。
三人の子供のうち、長男と次女は高校卒業後、家から独立。親思いの長女も、「いつかは家を出て、自分の働いたお金でヘルパーを雇わなくては」と考えていたのです。そんな彼女がある日、病院の入院仲間と恋に落ち、あっという間に結婚をしてしまいました。
長女の結婚によって、叔母は約30年にわたる介護の日々から開放されました(娘の夫と派遣ヘルパーが面倒を見たため)。これから夫婦水入らずで楽しもうと思っていた叔母を待っていたのは、夫の介護でした。その時、すでに彼は脳腫瘍に侵されていたのです。
二年後、家の住人は叔母だけになりました。しかし、もともと陽気でタフな、うちなーんちゅ。一人しんみり過ごすというチョイスはなかったようです。それからの行動が早かった。^^
まず、長年の夢であった運転免許を取りました。そして、行動範囲が自然に広がっていった。それと同時に、「自分が社会に対して出来ることはないだろうか」という気持ちが芽生えたそうです。そして、「介護だったら」と思い、学校に通いました。
その後、人材会社に登録をすると、ほどなく個人介護の仕事を紹介されました。そして、その相手が何と自分の娘だったのです。詳しい話は聞いていないので私もはっきりはわかりませんが、おそらく小さなコミュニティの中での話で、人材会社も叔母と叔母の娘のことを知っていたのでしょう。だから、紹介したと思います。
そして今、叔母はこれまで同様、自分の娘の車椅子を押し、抱きかかえてトイレに連れて行き、入浴を介助するのです。違うことは、叔母が娘のために行っていたことが、「労働」となり、そのことで、ちゃんと「給料」を貰っているということです。対価というものは、すぐにもらえるものとは限らないのですね。
叔母はちょうど沖縄が本土に復帰をした年に米兵と結婚。結婚式を沖縄で済ませた後、すぐにアメリカに移住しました。その後、三人の子供に恵まれたのですが、長女は重いハンディキャップを背負って生まれてきました。
それから叔母の介護の日々が始まりました。叔母はアメリカに行ったら、運転免許を取って仕事をしようと思っていたらしいですが、それは無理な話でした。娘は自分の足で歩くどころか、立つことすら出来なかったからです。
三人の子供のうち、長男と次女は高校卒業後、家から独立。親思いの長女も、「いつかは家を出て、自分の働いたお金でヘルパーを雇わなくては」と考えていたのです。そんな彼女がある日、病院の入院仲間と恋に落ち、あっという間に結婚をしてしまいました。
長女の結婚によって、叔母は約30年にわたる介護の日々から開放されました(娘の夫と派遣ヘルパーが面倒を見たため)。これから夫婦水入らずで楽しもうと思っていた叔母を待っていたのは、夫の介護でした。その時、すでに彼は脳腫瘍に侵されていたのです。
二年後、家の住人は叔母だけになりました。しかし、もともと陽気でタフな、うちなーんちゅ。一人しんみり過ごすというチョイスはなかったようです。それからの行動が早かった。^^
まず、長年の夢であった運転免許を取りました。そして、行動範囲が自然に広がっていった。それと同時に、「自分が社会に対して出来ることはないだろうか」という気持ちが芽生えたそうです。そして、「介護だったら」と思い、学校に通いました。
その後、人材会社に登録をすると、ほどなく個人介護の仕事を紹介されました。そして、その相手が何と自分の娘だったのです。詳しい話は聞いていないので私もはっきりはわかりませんが、おそらく小さなコミュニティの中での話で、人材会社も叔母と叔母の娘のことを知っていたのでしょう。だから、紹介したと思います。
そして今、叔母はこれまで同様、自分の娘の車椅子を押し、抱きかかえてトイレに連れて行き、入浴を介助するのです。違うことは、叔母が娘のために行っていたことが、「労働」となり、そのことで、ちゃんと「給料」を貰っているということです。対価というものは、すぐにもらえるものとは限らないのですね。
リーディングバトン(from めぐみさん)
を受け取りました。なぜか遠慮がちな、この記事から。^^
私は、自分のマイナーサイトでも、好きな本を紹介しているくらい、本の趣味を晒す(?)ことには、まったく抵抗がありません(笑)。電車の中でもカバーを付けずに読んでいます。てぃーだのブロガーでも同じ本を読んでいる人がいれば、遠慮せずに、コメントしています。最近では、この方とか、あの方とか。^^
長めなので、「追記」を使いますね。
続きを読む
私は、自分のマイナーサイトでも、好きな本を紹介しているくらい、本の趣味を晒す(?)ことには、まったく抵抗がありません(笑)。電車の中でもカバーを付けずに読んでいます。てぃーだのブロガーでも同じ本を読んでいる人がいれば、遠慮せずに、コメントしています。最近では、この方とか、あの方とか。^^
長めなので、「追記」を使いますね。
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アメリカ式職業体験
リンクに貼っておりますフロリダの風様の記事に先日、職業体験テーマパークのことが書かれていました。もちろん、それを見逃すはずのない私は速攻で詳細を尋ねたのですが、すぐにサイトを教えてくださいました。ううっ。それが、去年アメリカに開園した wannadocity なのですが、すべて英語なので、別の方が書かれた日本語のレポから内容を紹介したいと思います。原文引用は青色で。
アメフト場3つ分(!)という巨大なワナドゥ・シティには、子供サイズにつくられた消防署、警察、サーカス、病院、銀行、劇場、新聞社など、本当の街に存在するような施設が約60カ所ある。ここで子供達は、好きな仕事をロールプレイできるのだ
アメフト場(と言うの?)3個分というのが、どのくらいの大きさなのか想像できませんが、とにかく大きいのでしょう(笑)。だって、60ですよ、中にある施設の数が。しかもそれがアウトレット・モールの中にあるというのだから・・・。そして、子供達が選べる職種が、
TVディレクター、警察官、ロッククライマー、ピザ屋、銀行員、パイロット、消防士、ジャグラー、スーパー店員、裁判官など
200以上あるそうです。これって、凄いと思いませんか。銀行員やスーパー店員などの仕事をイメージするのは、日本でもそれほど難しいとは思いませんが、ロッククライマーとかジャグラーですよ。大人が体験したいくらいじゃないですか。しかも、職業体験した子供には対価として、「給料」が支払われるそうです。う~ん、深い。
職業体験は今かなり日本でも広がっていますし、とても必要なものだと私自身も思っています。でも、日本だと多くの場合、学校側がイニシアチブを取っていますよね。修学旅行の中に職業体験を組み入れたりとか。あとはプロの職人を学校に呼んで、生徒にその話を聞かせるとか。もちろんそのプログラムは素晴らしいと思いますし、どんどん続けていってほしいのですが、このワナドゥ・シティのように、子供達が楽しみながら、自分で選んだ職業を体験できるシステムを取り入れてもいいですよね。
でも、こうまでしないといけない背景には、やはり高校や大学卒業時にいきなり職業選択をすることが容易ではないという事実があると思います。アメリカにおいても。キャリア教育は小学校から、と言われているのがとても理解できます。先日の記事、「希望学宣言!」にも書きましたが、夢を持たせるというのも大人や社会の責任なのかもしれませんね。
あ~、それにしても、このワナドゥシティ、現地に行ってこの目で確かめたい!
アメフト場3つ分(!)という巨大なワナドゥ・シティには、子供サイズにつくられた消防署、警察、サーカス、病院、銀行、劇場、新聞社など、本当の街に存在するような施設が約60カ所ある。ここで子供達は、好きな仕事をロールプレイできるのだ
アメフト場(と言うの?)3個分というのが、どのくらいの大きさなのか想像できませんが、とにかく大きいのでしょう(笑)。だって、60ですよ、中にある施設の数が。しかもそれがアウトレット・モールの中にあるというのだから・・・。そして、子供達が選べる職種が、
TVディレクター、警察官、ロッククライマー、ピザ屋、銀行員、パイロット、消防士、ジャグラー、スーパー店員、裁判官など
200以上あるそうです。これって、凄いと思いませんか。銀行員やスーパー店員などの仕事をイメージするのは、日本でもそれほど難しいとは思いませんが、ロッククライマーとかジャグラーですよ。大人が体験したいくらいじゃないですか。しかも、職業体験した子供には対価として、「給料」が支払われるそうです。う~ん、深い。
職業体験は今かなり日本でも広がっていますし、とても必要なものだと私自身も思っています。でも、日本だと多くの場合、学校側がイニシアチブを取っていますよね。修学旅行の中に職業体験を組み入れたりとか。あとはプロの職人を学校に呼んで、生徒にその話を聞かせるとか。もちろんそのプログラムは素晴らしいと思いますし、どんどん続けていってほしいのですが、このワナドゥ・シティのように、子供達が楽しみながら、自分で選んだ職業を体験できるシステムを取り入れてもいいですよね。
でも、こうまでしないといけない背景には、やはり高校や大学卒業時にいきなり職業選択をすることが容易ではないという事実があると思います。アメリカにおいても。キャリア教育は小学校から、と言われているのがとても理解できます。先日の記事、「希望学宣言!」にも書きましたが、夢を持たせるというのも大人や社会の責任なのかもしれませんね。
あ~、それにしても、このワナドゥシティ、現地に行ってこの目で確かめたい!
シンポジウム「希望学宣言!」
またまた講演会レポです。今回は東京大学社会部研究所主催の、シンポジウム「希望学宣言!」です。東京大学と「希望」という関連性にも興味があったのですが、何と言っても私の目的は、ニート―フリーターでもなく失業者でもなく
の著者、玄田有史さんと、パラサイト・シングルの時代
の著者、山田昌弘さんの対談でした。両者とも学者なので、かなりカチカチなお話をされるのかなと思いきや、少しのんびりした山田氏に玄田氏が鋭くつっこむという感じで、割と面白かったです。
その対談後、約900名を対象にした「希望」に関するアンケートの発表が続きました。
その設問の中に、「未来をイメージする色」というのがあり、「希望を持っている」グループと、「持っていない」グループからそれぞれ四色の回答がありました。両者に共通した色が、水色、黄色、白色、この三色で、残り一色が異なっています。「希望を持っている」グループが選んだ色が、オレンジ。そうでない群が選んだ色は、灰色でした。
そして、次に希望と個人の気質の関連性を調べた結果があるのですが、独立心が高い、チャレンジ精神がある、という質問に対し、「はい」と答えた人が希望を持っているという傾向があったそうです。意外だった答えが、「楽観性」でした。これは希望を持つ持たないには関係性が見出せなかったようです。
しかし、子供のころに希望する職業があった人が、その後成長しても「希望を持つ力」を維持しているとのこと。これはやはり親や周りの大人の役割が大きいのかなと思いました。ある種のトレーニングが必要になる日がくるのかもしれません。
この「希望学」、まだまだ立ち上がったばかりです。この宣言の日を迎えるまでに色々あったのだろうな、ということが感じられました。玄田さんがおっしゃっていた言葉で、私が新鮮に感じたのは、
「学問はベンチャー。後出しじゃんけんだけでは何も始まらない」
ということ。そして、「『希望』というのは一人一人、その定義が違うもの。でも、みんなで話し合うことはできる。そしてそれが社会を動かす原動力となる」、と玄田さんは続けました。それを聞いただけで単純な私は、「頑張って」と心の中でエールを送ったのでした。
その対談後、約900名を対象にした「希望」に関するアンケートの発表が続きました。
その設問の中に、「未来をイメージする色」というのがあり、「希望を持っている」グループと、「持っていない」グループからそれぞれ四色の回答がありました。両者に共通した色が、水色、黄色、白色、この三色で、残り一色が異なっています。「希望を持っている」グループが選んだ色が、オレンジ。そうでない群が選んだ色は、灰色でした。
そして、次に希望と個人の気質の関連性を調べた結果があるのですが、独立心が高い、チャレンジ精神がある、という質問に対し、「はい」と答えた人が希望を持っているという傾向があったそうです。意外だった答えが、「楽観性」でした。これは希望を持つ持たないには関係性が見出せなかったようです。
しかし、子供のころに希望する職業があった人が、その後成長しても「希望を持つ力」を維持しているとのこと。これはやはり親や周りの大人の役割が大きいのかなと思いました。ある種のトレーニングが必要になる日がくるのかもしれません。
この「希望学」、まだまだ立ち上がったばかりです。この宣言の日を迎えるまでに色々あったのだろうな、ということが感じられました。玄田さんがおっしゃっていた言葉で、私が新鮮に感じたのは、
「学問はベンチャー。後出しじゃんけんだけでは何も始まらない」
ということ。そして、「『希望』というのは一人一人、その定義が違うもの。でも、みんなで話し合うことはできる。そしてそれが社会を動かす原動力となる」、と玄田さんは続けました。それを聞いただけで単純な私は、「頑張って」と心の中でエールを送ったのでした。

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